ゆたかとエグモント

デンマーク エグモント教員片岡豊によるWEB日記
2005/11
27

インクルージョンてなに? その3  



僕には2度の「幼児」時期の体験がある。最初は生まれてから数年くらいまでの時期。2度目は、今から35年前頃にデンマークに来てからの数年。朝靄ベールに被されているかのようにボーとしている。「幼児」時期から徐々に脱して意識がはっきりしていくのは、「言葉」ができるようになるのとほぼ平行しているように思える。
僕がデンマークに来たときは18歳。まだ大人になりかけだったから、言葉を学ぶのも結構、早かった。1年くらいで、アルバイトの職場でデンマーク語を話していた。でも、それには限界がある。せいぜい、単純な日常会話ていど。言葉を学ぶために、語学学校に入ったり、いくつかのフォルケホイスコーレに行った。35年たったいまでも、なまりはあるし、スペルや文法は確かではない。僕にとって、毎日、生活や仕事で使っているデンマーク語と、母国語の日本語の違いは、感性的なものがあるかないかの違いに思える。日本語だと発音や言い方に不自然があるとなんとなく分かるけれど、デンマーク語だと、確かでない。デンマーク語には僕の耳では聞き取れない音がたくさんあり、だから発音もうまくできない。イントネーションや、言い方にも外国人の僕にはお手上げのことが多い。日本語も忘れて変な日本語になったり、なかなかぱっと口でいえない場合はあるけれども、「この、アホー」くらいは、ちゃんと気持ち込めていえる。あるいは、ニュアンスをつけていろいろな表現方法で言える。デンマーク語になると、「この、アホー」っていえても、何となく、心の中では、「この、どアホー」という気持ちが残ってしまう場合がある。だから僕は、自分の連れ合いや子供とも口げんかできない。しても負けるし、第一、怒りの気持ちをすっきり言い表すことができない。だから、早々に自分の部屋に入り込んでしまう。そして一人でいつまでもムツーとしている。なぜ、このような違いがあるのかを考えてみると、あまりにも当然だけれども、言葉を習得する仕方にあると思う。日本語は生まれてから自然に、感覚をとおして身に付けてきたけれど、デンマーク語は頭で学んだもの。目と耳を使ってといっても、「日本人」としての目と耳。見るもの、聞くものはすべて「日本」的になって入ってくる。デンマーク語をちょっとかじった人は知っているように、roed groed med floedeだとか、rugbroed なんて言われても、何度繰り返そうが、チンプンカンプンで聞き取れない。まして、発音することさえ出来ない。(ちなみに、このデンマーク語を訳すと、「ミルククリームをいれた赤いジャム」)
 話がつい長引いてしまった。「言葉」というものは、感性に深く関わっているということがいいたかっただけ。いや、それだけ、ではない。僕は、このデンマークに住みながら、この「失った感性」を取り戻そうと、必死なんだということをいいたかったのだ。自分の夢とアイデンティを求め、外国にきた。そして失ってしまった「感性」。
 デンマークには多くの政治的難民や外国人居住者がいる。エグモントには、重度の障害のため、言葉を持っていない人がいる。交通事故で脳障害になり失語症になってしまった若者もくる。彼らにとっての感性は、言葉を持っているものとは全くべつな意義を持っているのではないだろうか。こうして、ぼくにとってインクルージョンとは、この感性の問題をなくしては考えることの出来ない問題となっている。
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