ゆたかとエグモント
デンマーク エグモント教員片岡豊によるWEB日記
2005/12
02
善い体験
昨日の夜、オーフスの音楽ホールでオペラを鑑賞した。おお、高尚な。プッチニーのラ・ボヘーメ。歌手は全員、デンマーク人なのにイタリア語だった。偶然、後ろに座っていたイタリア人が、「おまえイタリア語わかるのか?」って、休憩に聞いてきた。「恐れ見よ」と答えたら、ははは、だとさ。舞台の上に文字盤があって、そこにデンマーク語訳がでてくる仕組みになっているのだけれど、あまり安いシートでバルコニーの一番後ろから2−3番目くらいだったから、悲しいかなうまいこと読めない。持参した双眼鏡で覗いてみたら、文字しか見えなくなってこれまた面白くない。それではということで音楽を堪能し、ときたま双眼鏡で美人の歌手や、オーケストラメンバーを覗くとことにした。おかげで、居眠りせずにあっというまに2時間半すぎてしまった。
時間を忘れて、音楽に聞き入る、していることに夢中になる、というような体験はよくある。スポーツをしたり、鑑賞したりするとき、友達と楽しいひと時を過ごしたとき、面白い本を読んでいるときなど、いろいろな状況を思い浮かべることができる。あらゆる感覚や知覚などが、ある対象に集中的に向けられるからだろう。そこでは時間が止まったような感じがする。もちろん止まってはいないわけだから、日常の時間意識から括弧入りされた時間になったという言い方がよいかもしれない。この括弧入りの時間は、自然の大きな流れから見れば、瞬間に近い時間のように思われる。この体験の意識そのものは目に見えないものであり、そういう意味でも、消えてなくなる瞬間と同じようなものだ。
もし人生が体験だとすれば、あるいは意識された体験だとすれば、それは一瞬のうちに消えてなくなってしまうものだろう。コンピューターのメモリーと同じで、電源を切れば、メモリーの中身も消えてなくなる。体験とはそういう面をもっているように思われる。
フォルケホイスコーレで得られるもの、このような意味での体験なのであろうか?学校の玄関を出れば、もうすっかり忘れてしまうような、そういう体験なのだろうか。そうでなく、一瞬に消えて無くなるような体験ではなく、一人の人生に価値を付け加えることができる「善い体験」としての学校生活とは何なのだろうか。プッチニーのラ・ボヘーメを聞きながらそんなことを考えていた。
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