北欧デンマークに在住のメンバーから、生活感溢れるデンマークをお届け
不幸だなぁ、って思って悲しくなる時、幸せそうな人たちをみてもっと悲しくなったり、ねたんだり、この人達も一度同じ境遇になってみたら、なんて意地悪な思いがよぎったりすることがある。
だけど、もしそうなったところで、自分の問題が消えるわけでもなく、人の不幸を見て嬉しくもなく、友達に同じ苦しみは味わって欲しくない。
娘が聾とわかったのが8ヶ月の時。
1歳半くらいのころかな、同じ頃デンマークに来て、同じ頃に子供を産んだ日本人の友達と集まることがあった。
ちびっこはまだ言葉が使えないから普通に仲良く遊んでる。
窓際にちびっ子3人立って、庭の外の犬を見て大喜び、ガラス窓をバンバン叩いて笑ってる。
そこへ友達がごはんよ?、というと、2人はすぐにテーブルの方へ走って言った。
何も聞こえない娘はゲラゲラ笑いながら犬を見続けている。
健聴者と聾の娘との壁を実感した瞬間だった。
なんでよりによってうちの子が聾なんだろう?
友達の子供の中で障碍や、病気を持ってる子はいない。
不運なことはテレビで見たり、近所のうわさばなしで終わることが多い。
いざ、確立が1%未満のことが自分に降りかかってきたとき、なんて不運なんだろうと悲劇のヒロインのように思えてしまったりした。
そして、そんな不運なこととは全く縁がない、自分が描いていた幸せを持っている他の人をみて、うらやましがったり、ねたんでみたり、せっかく親身になって励ましてくれる人たちに向かって、私の気持ちなんかわからないくせに!と卑屈になってやつあたりをしたこともある。
どこかのサイトか雑誌で障碍者の親のインタビューを読んだことがある。
確か、ダウン症で車椅子が必要な子供だったような気がする。
母親がインタビューで答えてたのは、障碍をもつ子供はみんな天使だ。自分たちがあたりまえにもっていて感謝をしないものを思い出させてくれる。そして、神様は私にならこの子をまかせても大丈夫だと思って授けてくれたのだろう。 乗り越えられない苦難は与えられない、だから頑張るんだ。
というようなことが書いてあった。
以前Dream childについて書いたことがある。
http://egmont.jp/archives/28/4 ......
娘が障碍者として生まれてきたり、稀な病気にかかったり、そのたびに、まず、なんでまたうちの子に?という宇宙に向けた質問を投げかける。 勿論答えは返ってこない。
同じ障碍をもつ彼女の友達にはまったく起きないことがいろいろ次から次へとでてくるのだ。
もう、いいかげん、平凡な生活に戻って欲しいなぁ、と思うのにまだまだやってくる。
そして親としての心配は止まらないどころか増えていく。
でも、私たちに試練はおかまいなしにやってきても、その経験から学んで、これからどう生きていくか、その選択は私たちの自由だ。
周りと見比べて自分の人生がいいものか悪いものか判断していたら心は乏しいままだ。
健常者や、健聴者、自分よりも幸せそうな人をみあげて嫉妬したり凹んだり、自分より不運な人を見下げて自分が優越感に浸るのはむなしい。
自分にとって与えられた状況で自分がどうやったら充実感をもって生きていけるのか、上や下を見ないでポジティヴな気持ちを持って前進しよう。
NAo 2008/11/28 03:20
うわぉ!まさにオンタイム。
今日、職場でこんな話を聞きました。
ひとりのお母さんパートさんが、
’’うちは母子家庭で、息子は自閉症で、周りからの理解のない言動、行動に傷つき、でも、私は笑顔でいなきゃならないの・・・だから、仕事は楽しくやりたい、でも、フォローがなく、自分が否定されてる気になる。。。’’
と、愚痴(?)ってた。
んん?・・・なんか違くない??
こどもを持ち出してフォロー要求・・・??
職場の人々はフォローし合ってると思うけどなぁ・・・?
仕事、は、自分の問題、じゃないかなぁ??
などなど、考えてた。
そして、その人は自分の子に障がいがあることを、劣にとらえている気がした。
社会的に、強弱はあっても、優劣はない。と私は思う。。。
自分はまだ子がいないから、母の気持はわからないけど・・・
子が障がい者だと、かわいそう、と悲しんだり、絶望したりするらしい。
けど、親が障がい者だと、そんなこと思ったことは一度もない。
たぶん、それは、生まれた時から親が障がい者だったら、それが当たり前だから。そして私は、守られる立場だったから。
障がいがあろうがなかろうが、
親は、子を守る。幸せを、祈る。
子は、親に、守られる。幸せにしてもらう。
私のベビーカーは、車イス。
いつも、ひざの上。特等席だった。妹ができたら、奪い合い(笑)
小学生になって友達に、なんでお母さん歩けないの?って聞かれても、意味がわからなかった。
だって、歩けないから。じゃぁ、なんで、あなたのお母さんは、歩けるの?
一般で言うフツウが、健常者だったら、私のフツウ、は、障がい者だった。
だいぶ大きくなるまで、気付かなかった。
こう、と言葉にできるわけじゃないけど、いまでも、違和感を感じることがある。
そんな両親で、幸せだと思うこと。
?ディズニーランドに行ったら、ミッキーやそのたキャラクターは必ず近寄ってきてくれる。
?高速代半額
?交通費半額
?何かと優先
?ふつーに生活してたら気づかないおもしろいことが、いっぱい見えてくる。
(例:心臓破りな急勾配スロープ・スロープあがったら階段・あかずの障がい者トイレ・勝手に乗っちゃいけない電車などなど・・・けっこう笑える)
中には、’’私は障がいがあるから・・・こどもをきちんと育てられなくて・・・私が普通の親だったら・・・’’ みたいな考えの障がいのある親ゴさんもいる。
そういう考えの中で育つと、’’私、親が障がい者だから・・・OOしてもらったことないの・・・XXができないの・・・’’
ってな、お子さんになったり、逆に、グレちゃったりするパターンもあるよう。
幸い、我が家はふつうです(爆
これは、子でも親でも、共通なんじゃないかな??
悲しいことより、得したこと、おもしろかったことに目を向けたほうが、人生楽しい♪
でも、親からしてみれば、子育ては人一倍、もどかしく、ほんっとに大変だったと思う。(いまだに・・・!?)
ふつうに街で見かけるお母さん方だって、大きな声をだして、「こっちよ!」「ダメ!!」などなど、ばたばたと追いかけっこして大変そうなのに。
いくら女の子でも、ちょろちょろ歩きまわる年頃になったら、
ちょっと目を離したすきにどっか行っちゃうし、
おとなしくヒザに乗ってなんかないし、とにかく言うこときかない。
反抗期、怒られて逃げる先は、必ず、
追ってこられない二段ベッドの上や勉強机の上だった。
それを見ていたからか、妹にそんな反抗期はなかったけど(笑
最近、やっと、わかってきたそんな状況に、いまや、母には頭が上がりません。
まぁ・・・それだけの理由ではないけれど・・・。
そして、自分が子を持ったとき、その思いは頂点に達するのだと思います。
はやく子が欲しいなぁ♪
子、ってすごいと思う。そのパワーを感じてみたいな。
そして、それを生みだし育てるお母さんって、もんのすごい!!
う?ん、いろんな思いがあるんだけど、うまく文字にできないわ。
本人だけじゃなく一番近くにいる人にとっても、苦しい時や歯を食いしばりながら受け止める状況があって・・・。その状況下にない人が一瞬うらやましかったりもするけど、でもほんとに羨ましいのか?って自分で自分に問いかけてみると、「うーん、そうでもないな、これがあるから今の自分・自分たちがあるんよな。まんざらでもないわ」と思い直せて、前進はせずとも後退もせず、ありのまんまで・・・というか。
人と話してみると実はそれぞれにいろんな過去や現在があったり・・・。
いや、活字にするのは難しい。
デンマーク語でなるほどと思った言葉「Det handler ikke om, hvor meget man har, men hvordan man tager det.」「Det kan godt være, du ved mest, men de ved bedst.」思い出すたびに目が覚める言葉です。
Naoちゃんコメントありがとう。
いろんな要素があるコメントです。
一つずつ一つずつ頭の中を整理しながらお返事しよう。
まず、Naoちゃんがお母様の障がいと共に子供時代に経験したことはエグモントよろずに書いてどんどん伝えていく価値があると思うよ。
どうしても障碍者当事者、またはその親のことにフォーカスがあたるけど、障碍のある親をもつ健常者や健聴者の生い立ちや苦労というのはいろいろ知らされていないことがあると思う。
近年デンマークでも聾の親を持つ健聴者の子ども時代の苦労、例えば、常に親の通訳をさせられて、子供が普通聞かなくていいことまで通訳させられた、子供として生活する権利が損なわれた、普通より早く責任を任され大人になってしまった、などに焦点があたり、そういう子供の会もできている。(通訳に関しては移民・難民の子供にも該当する。これはペダゴギックの内容になるので省略。)
さて、次は・・・
職場でのパートさんのお話。
Naoちゃんがなんか違う・・・って思う気持ちはよくわかる。それがデンマークの福祉を見てきたからなのか、それともお母様が障碍者だからかはわからないけど。
ただ、注意して接して欲しいのは、障碍のある子供を持つ親の気持ちというのはとてもとてもデリケートで、ちょっとしたことで壊れてしまいそうなこと。そして心労が大きいこと。
周囲からその気持ちを理解してもらえないこと(だから否定されてると思うのかも)へのフラストレーション、人に寄っては障碍がある子供を産んだ罪悪感、劣等感、いろんなものを持ちながら生きているということ。(Dream Children参照)
自閉症の子供の場合、私たちが普通にしている感情が入ったコミュニケーションができないことへの苛立ち、孤独感、絶望感、周囲への気遣いなどご苦労が大きいこと。
このパートさんの場合は母子家庭なので、特に家に帰っても普通に話せたり、ねぎらってもらえる相手がいないことと、自閉症の子供との生活で孤独感は大きいと思う。
私が自閉症の子供の学校で実習生として働いていた時に実感したことは、自閉症の子供と接している時は私は人間として見られてるわけでなく、子供が望むことを手にするためのツールでしかなかったこと。そして家に帰ると、職場では得られない感情の入ったコミュニケーションを求め、やっと精神的なバランスがとれたこと。
この人は愚痴るだけまだいいかもしれない。人に寄ってはすべてを背負って何もいわず一生懸命生きている人もいると思う。 でも、もちろん、仕事とプライベートは分けないといけないことも大切だね。
フォローがない、と思ってるのなら、どんなフォローが彼女に必要なのか聞いてみたらいいと思う。 そのあと、それが無理だと思えばそう伝えてもいいのかしら・・・
Naoちゃんが言うように、自分の子供に障碍があること劣にとらえている親は沢山いると思います。これも以前書いた日記のように、DreamChildを失った悲しみや、周りの健常な子供との比較、そして、社会のノルマからくるプレッシャーに常に向かい合っていかなければいけない。
精神的な障碍は身体の障碍に比べて周囲の理解が少ないと思います。
日本にいる時、公共の交通機関を利用する時、「お行儀が悪い」とレッテルを貼られ冷たい視線でみられたり、怒鳴られてぺこぺこただ謝ったりする場面を見たことがあります。
親のしつけの問題ではなく、これは障碍なのだ、という認識がされないまま、親は罪悪感や劣等感と毎日戦っているのでしょう。
>子が障がい者だと、かわいそう、と悲しんだり、絶望したりするらしい。
これについてもずいぶん前に日記に書いたけど、それはそのとおりだと思います。
「オランダへようこそ」
http://www.our-kids.org/Archiv ......
という詩に親の気持ち、生まれてくる子供への期待、希望が表されています。 自分のお腹の中で9ヶ月間(日本では10ヶ月でしたっけ?)育ってくる子供への想いは大きいものです。
そして生まれて、さぁ、これからがんばるぞ!という時に、予想外の障碍を持った子供を手にした時の親の落胆は想像がつかないくらいのショックだったり、絶望感だったり、子供の将来を不安に思うものだと思います。
デンマークは世界一の福祉国家ではないにしても、子供に障碍があるとわかったときの対応は内容や重度によりますが、比較的いいものだと思います。
市や国からのサポート、施設やカウンセリング、経済的なサポートなどのシステムも、ケースバイケースではあるけれど、親が全てを背負わなくてすむようにできているように思います。(例外はきっと一杯あると思いますが)
日本はどうなんでしょう?
さて、お次は障碍者・親の自尊心とメンタルケアについて。
でもこれは「つづく」にしておきます(笑)
コメント返しで「つづく」にするのは初めてだ!(笑)
まゆはんもコメントありがとう。
お返事はもうちょっと待っててね。
NAo 2008/11/29 02:32
おぉ?!すごいなぁ☆
時間が時間だったので、あまりまとまらないまま、話しがずれちゃったのですが、私が最初に思って書きたかったのは、そのパートさんのことで。
最後に書いてあった、
’’自分にとって与えられた状況で自分がどうやったら充実感をもって生きていけるのか、上や下を見ないでポジティヴな気持ちを持って前進しよう。’’
ってところに、それだぁーーーーーっ!!って、思った、ってことを書こうと思ってたのに、なんだかずれて両親(主に母?)の話になってしまったのです、すみません^^;
親と職員では、立場が違うから、と言われたらそれまでなのですが、私はずっと、自閉症はもちろん、強度行動障害、統合失調症などの方々の成人入所施設にいて、コニュニケーションは試行錯誤、掴みかかられるわ噛みつかれるわいろいろあったけど、そこのみんなが、大好きでした。
みんなに出会ったからこそ、エグモントにもたどり着いた。
こだわりにも、それぞれ個性があって、必ず靴ひもを結び直してくれたり、私には絶対できない細かい作業ができたり、500ピースのパズルを軽々やったり、1年半ぶりに帰ってきたのに、私の名前は当たり前、家族構成から好きなものまで、私が伝えたものはすべて覚えていてくれてたり。。。
でも、今回はそのパートさんの、話しの持ち出し方が、自閉症だけじゃなく、障がい者をあまり知らない人たちにとって、良い影響をあたえるとは思えない感じだったので、んん???って思ってしまったのです。まして、母である人が。
私の大好きなみんなを、誤解しないで欲しいなって。
健常者は十人十色だけれど、障がい者って、なんだかひとくくりにされてる感じがある。
それが、私が感じる違和感のひとつ。
車イスに乗ってるだけで、耳の遠いおばあちゃんに話しかけるかのように、話す人。
本人じゃなくて、一緒にいる健常者に話す人。
ふつうにしゃべって、冗談も言い合っておきながら、
調査始めます、「ご飯は自力で接取できますか?」「モノは握れますか?」と聞き始める、社協の職員。
障がい者を知らないからしょうがない・・・っていうけれど・・・同じ人です。
障がい者=特殊・マニュアルじゃなくて、
まずは、’’人’’を見て、って思うのです。
そして、障がい者の親でも、子でも、兄弟でも、たいへんなのは、とってもとってもわかるし、伝えて欲しいけれど、それとおなじくらい、こんなにいいこともあるんだ、いいだろ?♪って、自慢もしちゃって欲しい。
わからないから、不安になる。
たいへんだたいへんだとばかり聞くから、絶望感が強くなる。
わかっていれば、たくさん情報があれば、和らぐ問題かもしれない。
私は生まれた時から、たくさんの人たちが周りにいた。障がい者も健常者も外国人も。いろんな人がいすぎて、人同士の醜い部分がイヤでイヤで、逆に人が嫌いになりそうになったこともあった。
でも、今はそれにとても感謝しています。その醜い部分は自分にもあるから、気をつけなきゃって。
よく、自分の子が障がい者だったら、どうする?
ってきかれるけど、それはもちろん、どんな障がいで、どれくらいの度合で、ちゃんと育てられるか、生きてくれるか、一生を守れるのか、と不安はいっぱいになると思うし、想像では計り知れない苦労があるんだろう、とも思う。
だけど、並行して、車イスだったらパンテーラのバンビーノにしよう♪とか、ダウン症だったらダンス習わせよう!自閉症だったら、どんなこだわりがでてくるのかな?とか、そんなことも考える。それはそれで、楽しみだと私は思う。
不謹慎だ、と誰だったかに怒られたこともあるけれど。
親のすねかじって、まだまだ子どもで、本当の苦労を味わったことのない未熟モノだから、言えることなのかもしれない。でも、
’’自分にとって与えられた状況で自分がどうやったら充実感をもって生きていけるのか、上や下を見ないでポジティヴな気持ちを持って前進しよう。’’
って、やっていける気はしてます。
ECをはじめ、たくさんの仲間に私は恵まれているので、大丈夫、と勝手に思ってます。感謝感謝^^♪
お???い、Naoちゃんっ!
コメントコピーしてよろずにのせるべし!!!
と????????ってもいいことや大切なことが一杯詰まってるよ!
表でしっかり発信するべきだぞ???!
できれば職員として障碍者のことを障碍者と縁がない健常者にむけて伝えたいことと、障碍をもつ親の元での子供時代や考え方とわけて書いて欲しいな。
エグネットにはそういうものを伝えるスペースがすでにあるんだから私の記事へのコメントで終わらせるのはもったいないよ?
ほんとはエグ卒業生がそれぞれこのテーマで感じてることや考えてることを発信していけたら最高だと思うんだけど、まずはNaoちゃんからぜひ始めてね♪
今日はちょいと疲れてるのでこれだけで失礼します(笑)
照さん 2008/11/30 13:48
本当にいいことを書き込んでいますね。
私にはそうかって思うばかりです。
40年以上の親友にも、ダウン症の子供がいます。
彼女も、多分悩んだ末に、今の明るさで育てているのかなってもう一度考えました。
なんか、いろんな人にいっぱい発信して欲しいなと思います。
芳さんも、強く生きているけど、愛奈ちゃんを育てることで、ものすごい葛藤があったのだろうなと、想像しか出来ません。
Naoちゃんももちろん、ご両親も、勇気をもって育ててこられたと思います。
私は、育てられたことしかないですが、改めて、両親に感謝です。
二人にありがとうです。
まゆはんへ
うん、隣の芝生はいつでも青く見えるのよね。
今まで起こった細かいこと一つ一つを積み重ねて今の自分があるのだから過去を悔やむ必要はないね。
今、不満や辛さがあるのなら、あの時ああすれば・・・なんて考えるより、これからどう進むかを考えなきゃね。
それと不満や辛さにフォーカスをあてて負のサークルをぐるぐる回るより、そのサークルを破るポジティヴなものを見つけないと。
どんなに小さなことでも、幸せに感じたり、笑顔をくれるものに感謝して進もう。
デンマーク語がわからない人の為に
Det handler ikke om, hvor meget man har, men hvordan man tager det.
どれだけ持っているかの問題じゃなく、どうやって手に入れるかだ。
Det kan godt være, du ved mest, men de ved bedst.
あなたは沢山知ってるかもしれないけど、彼らは最良のものを知っている。
これはちょっと意味が不安なので、まゆはん、補足お願いします?
照さんへ
いいえ、こちらこそ。
いつも照さんのやさしいお言葉で励まされています。
もっと照さんみたいな元気でやさしいおばちゃんになるよう精進します♪
もしかすると、私のデン語の解釈が間違ってたかも!?
自分の解釈はこんな感じです!
一文目:どれだけ(障がい・困難なこと・問題etcを)持っているかが問題じゃなく、どのようにそれを受け止める(解釈・判断という意味で)かだ。
これは自分自身にも言えることで、何か葛藤のようなものを感じるとこの言葉を思い出して目が覚めます。相方一家の5人中4人が障がいや病気を抱え、新入りながらも家族の一員としては、本人ではないゆえの葛藤や落ち込みをついつい感じてしまうこともあるので・・・。
2文目はヘルパーやpædagogとユーザーの関係から、
あなた(ヘルパー・pædagog・その他、家族など障がい者と関わる人たち)は沢山のことを知ってるかもしれない、でも(障がいがある)彼らが一番知っている。
これは、相方が実習先の共同住宅やværksted(作業所??)で、雇用されてるペダゴーの振る舞いに大いに違和感を感じていることを話してくれた際に教えてもらいました。例えば、本人を目の前にしながら彼(彼女)の話をその場にいないかのようにもう一人のペダゴーとする。そしてその時に「彼」「彼女」という言い方をする。それは人との関わりでとっても失礼なこと。
「ここは誰のための何のためのスペース?ペダゴーやヘルパーが帰宅時間までの間を潤滑に仕事するためのスペース?言葉の発せない彼らは他人の言葉を理解していないと思ってるのか?」などの違和感。
相方も、産まれたときからお母さんは車椅子に座っていたので、その姿そのものがお母さん。元気なお母さんは家中ビュンビュン走り回るので、いまだに相方はいすに座るときには足を手前にひっこめています。なぜなら、轢き逃げされるから^^ 外に出ると歩くのが速い!なぜなら街を暴走するお母さんに必死でついていって鍛えられたから。
こないだ相方のお母さんは新しい車椅子をゲットしたようで「ちょっと見て!!」とキャピキャピはしゃいでました。
おっと、つい暴走しちゃいました。本題からずれたかな・・・?
でも悶々としてたものを少しだけポロリとだせて、気が楽になった気がするからご勘弁を!
そういうことか。うんうん。
この文章だけだと、抽象的だからバックグラウンドがわかると理解しやすいね。
そういう背景ならまゆはんの解釈であってるよ!
まゆはんも、これは自分の記事として出すべき価値のある内容だよ?!
ネタができたじゃないのさ♪
ささ、投稿?!
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